◆ ボージョレの歴史アントワン ―― フランス第二の都市リヨンは、かつて織物生産によって繁栄した豊かな工業都市でした。リヨンの裕福な資本家は、短い休暇を楽しむため、リヨンからさほど遠くないボージョレに美しい屋敷のあるブドウ園を購入し、その使用人たちはボージョレで働いていました。ボージョレで造られるワインはすべてリヨンに運ばれ消費されたため、ワイン産地のボージョレは、リヨンの街中を流れるソーヌ川、ローヌ川に続く、リヨンの第3の川とも呼ばれました。ボージョレのワインは、昔は人気があり高価だったのです。とても残念なことに1951年、法律が変わり、収穫年の11月にボージョレワインを販売することが合法化されました。ボージョレ・ヌーヴォーの始まりです。ヌーヴォーは生産が非常に簡単で、ブドウ収穫後、すぐに圧搾して果汁を取り出し、1ヶ月後には販売できます。生産者の多くは秋に狩猟をしますが、この法律のおかげで、ワインを良い値で販売してから狩りに行けるようになり、非常に好都合でした。果汁を搾り、それがヌーヴォーとして売れるので、残念なことに生産者は次第にワインの造り方を忘れていってしまったのです。ヌーヴォーは、人気の高まりとともに大量生産されるようになりました。主な理由は、特にネゴシアンのジョルジュ・デュブッフなどによる完璧なマーケティングですが、タイミングも絶妙でした。市場にリリースされるのは、冬の始まりの11月終盤。夏が終わりクリスマスまではまだ時間があります。気軽に楽しむには打ってつけです。日本でのピークは2012年でしたが、1980-2000年にかけてヌーヴォーは世界中で大ブームとなります。しかし、ブームは必ず終わるものです。ヌーヴォーが流行っていた時、ボージョレのアぺラシオンワインは、ヌーヴォーほど高く売れなかったので、ほとんど造られませんでした。樽で6ヶ月間寝かせ、次の年の5月に販売するのではコスト割れになるのです。◆ ドメーヌ・ド・ボワシャンとのかかわり―― ヌーヴォーの価格が下がると、誰もワインを造りたがらなくなり、畑の価格も暴落しました。そこで15年ほど前から若い人たちが畑を購入し、ワインを造るようになりました。私自身もここにチャンスがあると思い、2018年、ハリス夫妻を誘って一緒にオーナーになったのです。ボージョレはブルゴーニュのすぐ南ですが、ブルゴーニュに比べて畑を購入しやすく、ワインの質を向上させるのは容易です。これが自分たちのボワシャンの始まりです。次の問題は醸造家を見つけることでしたが、幸いにも若い醸造家のティボー・ボーダンがドメーヌ購入当初から参画しています。彼は今37歳ですが、今までコート・ド・ニュイのドメーヌ・ド・ラ・ヴージュレやシャブリのル・ドメーヌ・ダンリで醸造経験を積んでいました。彼に会った時に、ボワシャンでは彼のやり方を尊重すること、大切な決定には彼も加わることを条件に、10年計画で良質なワインを造ること、畑は有機栽培に徹することを目標としました。この目標は、立てるのは簡単ですが、実現させるのは口に出すほど簡単ではありません。◆ 10年計画の折り返し地点で―― 今のところ、うまくいっていると思います。ドメーヌを購入したのが2018年で、この 2023年で10年計画のちょうど半分が経過したことになります。第一の目標は高品質のワインを造ることです。まずジュリエナスとボージョレ・ヴィラージュの2つのアぺラシオン(地区)に位置する14haの畑から始めました。ボージョレの中でも多様なワインの品揃えが必要と感じ、サン・タムール、フルーリー、シェナスのブドウを購入しました。その後、モルゴン、ムーラン・ア・ヴァンが加わり、今では10のクリュのうちブルゴーニュに近い北部の6つとボージョレ・ヴィラージュの34の畑からブドウを入手しています。最初の年は、もっぱら醸造所の整備に集中しました。ティボーの要望と自分の28 年に亘るワイン業界での経験を生かして、ワインの質を高めるために必要な機材を揃えました。選果台、除梗機、温度管理を完備した発酵槽、空圧式圧搾機などです。現在は33のタンクで1,500hLの処理が可能です。タンクは3/4が主に醸造用のコンクリート槽で、1/4が熟成のためのステンレス槽です。さらに、16世紀から続く温度と湿度を一定に保つアーチ形天井のセラーにはフレンチオークの樽が38あります。ボワシャンでは新樽は使わず、微かなオーク香とオキシジェナシオン(oxygenation、穏やかに空気に触れさせ軽い熟成を促す)のため2-10年使用の旧樽を使っています。醸造所での作業は緻密です。手摘みしたブドウは、果実が潰れないよう、15kgまでしか入らない小さな箱で運び、ブドウの繊細さを保つよう優しく除梗、圧搾します。醸造は、デリケートで微かなアロマを残すため低温で発酵、ワインはポンプを使わず重力を利用して樽に移します。◆ ガメイ1品種に表現されるアぺラシオンによる違い―― それはテロワールとそれに起因する醸造の違いから生まれます。テロワールは抽象的な概念で、「土壌」と解釈する人もいますが、それだけではなく、さらに下層の土壌、畑の向き、標高、醸造方法、その土地の歴史と文化的な経験、すべてを含みます。我々の畑があるボージョレ北部でもさまざまなテロワールの違いがあります。畑は標高300-400mにあり、畑の土壌は花崗岩質だったり、ブルーストーンと言われる青みがかった砂岩を含む火山性土壌だったりします。ジュリエナスはブルーストーン土壌なので、ワインは「コールド」になると言われ、熟成に時間をかけます。つまり土壌や畑の向きがワインのスタイルに影響を与えます。例えば、ジュリエナスに7haの自社畑がありますが、畑の向きが違います。ジュリエナス・レ・キャトル・スリズィエは東向きで朝日を浴びます。ジュリエナス・ボーヴェルネは南向きの畑です。ヴァヨレットは北向きですが、温暖化の影響で良い新鮮さが保たれ、品質が向上しています。以前は北向きの畑は冷涼すぎ、ブドウが十分成熟しませんでした。ジュリエナスのワインは2年間熟成させます。最初の年は古樽で発酵し、そのまま1年間寝かせました。2年目からは畑によってアプローチを変え、レ・キャトル・スリズィエはステンレス槽熟成、ヴァヨレットはコンクリート槽、ボーヴェルネはそのまま同じ樽で寝かせます。ですからアぺラシオンが同じでも畑の向きと醸造のやり方により味わいが異なります。◆ 「有機栽培への変更」が意味すること――オーガニックは自分たちの信念です。ティボーも私も、2年目から畑での有機栽培に取り組みました。目標は畑の生産量を増やすことではなく、質を高めることです。有機栽培ではブドウの体内に取り込まれるものは使えません。表面に留まる硫黄と銅だけです。時間はかかりますが、ワインの味が変わります。有機栽培では除草剤は使用しませんし、摘心の作業も薬剤なしで行います。化学肥料から有機肥料に変更し、殺虫剤なども使用しません。このような栽培を3年続けて、有機農法の認証が得られます。有機栽培の畑ではブドウ樹の世話を細かく行うため、常に機能的に動く必要がありますが、実際にはそうできない畑も多いです。ボワシャンでは6haを引き抜き、樹の配列を変え、有機農法の畑にしました。新たに植え替えると、3年で少量ですが初収穫できますが、ワインを造れるようになるまでに4年はかかります。ボワシャンは2024年には全畑がオーガニックになる予定です。◆ 今後の計画―― 昨年は8haの畑から2万5千本造りましたが、今後、新しい畑からのブドウが増えるので、2025年までには約10万本の生産規模になる予定です。現在の醸造設備とスタッフではこれが限界です。これからさらに販売先を広げる必要はありますが、ボージョレはコストパフォーマンスが高いワインです。今後も量ではなく、質を追求するのが自分たちにはもっとも適したやり方だと思っています。◆ ボワシャンという名の由来―― ドメーヌ自体の歴史はとても古く、1642年に遡ります。数ヶ月前まで私も知りませんでしたが、調べてみると「ボワシャン」という名前は、このドメーヌを設立した二人の人物、木を意味する「デュ・ボワ」氏と丘を意味する「デュシャン」氏の名前を圧縮したものと分かりました。それでも綴りの最後の「pt」はフランス語でも変わった綴りです。【ボージョレのA.O.C.とクリュ・デュ・ボージョレ】ボージョレ地区は、古くはローマ時代からワインが造られ、A.O.C.の一つ、ジュリエナスの名はローマ皇帝ジュリアス・シーザーにちなむ。アペラシオンは1936年に認定、その後、何度かの地域や規則の改定を経て、2011年の改訂が最新。伝統的に赤はガメイ種のみで生産量の98%を占め、白はシャルドネが2%ほど造られている。12の主要アペラシオンで構成され、そのうち最も広域をカバーするA.O.C.ボージョレは主に南部の地域で、造られるワインのほとんどがボージョレ・ヌーヴォーとして販売される。A.O.C.ボージョレ・ヴィラージュは北部の村と地域からなり、少量の白は主にここで造られる。この地域で特に高い品質のブドウを産出するクリュ(区画)がクリュ・デュ・ボージョレで、ブルゴーニュにほど近いボージョレ丘陵地帯の10村が認められている。ボワシャンの畑とワイナリーは北部のA.O.C.ジュリエナスに位置し、その他のクリュにも自社畑を所有している。