◆ プリチャード・ヒルにワイナリーを購入することはオーナー夫妻にとって大きな賭けだった?フィリップ――ドン・シャペレは明確なヴィジョンを持って行動する人ですから、リスクは感じていなかったと思います。いつも他の人がしないことに取り組み、直感が磨かれています。カリフォルニアで一級のワインを造る可能性がありそうで、土地もあり、自分たちでブドウ栽培ができるとなると、かなりの可能性を確信していたと思います。ドンは畑に強い愛着を持ち、自分たちがしてきたことには常に満足しているようです。(中央)フィリップ・コラッロ=タイタス (左)栽培責任者 デイヴ・ピリオ (右)アシスタント・ワインメーカー ダニエル・ド―チャー◆ 1960年代カリフォルニアで山の斜面に赤品種を植えるということ―― 数は多くないものの、当時すでにナパの山の斜面でのブドウ栽培は行われていました。現在のシャペレの場所には1800年代、12haほどのブドウ畑がありました。かつて谷底の平地は霜害に見舞われ、ブドウ栽培は困難でした。当時は大型扇風機やスプリンクラーもなく、寒い年にはすべての作物を失いました。低温時にはブドウを守るため畑で火を興したりしたそうですが、頼れる方法とは言えませんでした。そのような状況で品質を確保し、霜害を防ぐため、畑を丘につくったのです。冷気は殆どの場合、山の上部には留まらず、谷の方に流れていきますから。今でも霜の心配はありますが、私が子供の頃ほどではないです。シャペレ夫妻は当初、1964年に植えられたばかりの若い畑を買いました。すでに収穫も少しあったので、ドンは魅力を感じたのです。土地は整備されていましたが、やることはたくさんあり、畑の成熟に合わせて樹も成長できました。幸いなことに40ha近いの畑のうち、約16haはカベルネでした。当時人気の高かったシュナン・ブランも沢山ありました。シャペレでは今もシュナン・ブランを造っていますが、元々なければ、あえてここに植える品種ではないです。◆ 品種の植替えと樹列の向きの変更―― シャペレでは、シュナン・ブランが最も長く、40年間造っています。古木が悪いわけではないですが、残念ながら過去、上手くいっているとは言えませんでした。樹齢25-30年ほどでリーフロール病*が発生して、ブドウの色素、タンニン、糖度などを十分に得られなくなり質が落ちるので、多くの樹を植え替えました。その後レッドブロッチ(赤い斑点)**も発生しましたが、当時はよく知られていなかったので殆ど植え替えられました。カリフォルニアでは、ジンファンデル以外の古木は残りませんでした。今ではウィルスにも対処できるようになったので、ブドウ樹は40-50年経っても上質な果実を生み出せると期待しています。畑の台木は、元々は100%セント・ジョージでした。これは昔からある台木で灌漑に強く、残念ながら質も量も最高とは言えませんが、永遠に持つのです。今ではより良いブドウを目指し、多様な台木を使っています。畑ではすべての樹の列の向きを変え、ブドウが充分な陽を受けつつ、同時に日光が当たりすぎないようにしました。昔はブドウを東西方向に植えていましたが、そうすると、陽は片側しか当たらないことになります。今ではすべて北東から南西に向け少しずらして植え、朝から夕方まで均一に陽が当たるようにしています。◆ 植え替えを続ける理由―― カベルネのトッププロデューサーであるためには、植え替えは絶対に必要なことだと分かってきました。樹齢5年までのブドウは質が十分でないので使っていません。6-8年で質はとても良くなります。常に植え替えないと全部が古木になり、危機的状況が発生した場合、すべてを新しい樹から始めなければならないので、今の素晴らしい状況を維持するために毎年、全畑の5%ずつ植え替えています。20年のサイクルで畑の刷新が一巡するわけです。経験からいうと、ブドウは樹齢8-25年ほどの間に、色、風味、ストラクチャーを兼ね備えた質のよい果実を継続的に実らせます。最高の質の果実を常に用意するためには、該当する樹齢の樹が畑に沢山必要です。若樹は色良いブドウを沢山つけますが、フェノールが貧弱です。ワインの中の特定の風味ということでなく、口に含んだときの緻密さと凝縮感で、それは樹齢が高まらないと生まれません。それは樹齢の高まりとともに薄れてもいくのですが。ブドウ樹が最適な場所に植えられ、自制しながら多くのブドウを実らせる。つまり大切なのは、バランスのよい樹形(キャノピー)です。樹が健全であれば多くのことができます。◆ カベルネにおける畑での実践と樽の使い分け―― 家では、どんなワインでも飲んでいました。当時カリフォルニアではカベルネ・ソーヴィニヨンとジンファンデルが大人気でしたが、ジンファンデルの人気はそのうち下火になりました。今も造られていますが当時とは比べ物になりません。私の父親はいつもボルドーワインを沢山買って10年ほど寝かせてから飲んでいました。1980年代、UCデイヴィスを卒業してナパに戻ると、シャペレも含めナパはカベルネとシャルドネだけでした。シャペレのカベルネは、クローン、台木、土壌、畑の向きなど様々あり、斜面の向きの微妙な違いでブドウの育ち方は大きく違います。畑は土壌ごとに1haほどの区画に分け、灌漑もそれぞれ別にしています。区画は33あり、大きいところで2haの規模です。 発酵には小規模タンクを数多く使います。最高の質を引き出すため、4t、6t、8t、10tのタンクを使いますが、最も多いのは6tで、6tの発酵槽からは14樽のワインができます。ワインにより用いる樽は異なります。プリチャード・ヒル・カベルネのようなトップワインはすべてフレンチオークですが、様々な産地のオーク樽を使います。フレンチオークは多用しますが、いつでもそれが最適だとは限りません。シグニチャー・カベルネにはアメリカンオークを少し使い、スパイシーな味わいを出します。ハンガリアンオークはフレンチオークと同じですが、より涼しい産地なので、フレンチオークよりキメが細かく、気に入っています。ワイナリーの様子◆ ブレンディングのアプローチ―― 長年の経験を重ねてブレンドには自信があります。最上級のプリチャード・ヒル・カベルネから始め、ほとんどの時間をそれに費やします。今年2月下旬には2019年ヴィンテージのワインをすべて試飲します。赤は3日、白は2日かけて、すべてのワインをシンプルにA~Cで評価します。個々のワインのデータはすべて揃っていますが、ブラインドで評価し、今度はそこからAに選ばれたもののみを試飲します。議論を交わしながら、より質のよいA1を選んでブレンドし、プリチャード・ヒル・カベルネに入れるべきかを確認します。精査を重ね、ブレンドを何度も繰り返します。ワイナリーでの私の最も重要な役割は、自分たちが造ったワインをどうするか決めることです。とても面白いのですが、とにかく時間がかかります。◆ プリチャード・ヒル・カベルネとシグニチャー・カベルネの違い――プリチャード・ヒル・カベルネとシグニチャー・カベルネにそう大きな差があるわけではありません。プリチャード・ヒルはAランクの中でも選りすぐったワインを使い、大柄で力強いですがエレガントさを備えています。ダークフルーツ、チョコレート、エスプレッソの風味をオークが縁取り、黒鉛を思わせるミネラル感があります。同時に豊潤で、口に含むとすぐに「凄い!」と感じる偉大なワインです。そのようなワインを造ることのできるブドウを持つワイナリーだからこそのワインです。プリチャード・ヒルはカベルネ主体でプティヴェルドが少量、マルベックは殆ど入れていません。素晴らしいカベルネがあるので、他の品種をブレンドする必要がないのです。シグニチャーにはもっと他の品種も使っています。昔はメルロも使いましたが、今は上質のメルロが手に入らないので使っていません。上質なマルベックとプティヴェルド、違うタイプのカベルネなどは自社畑の他、隣接の畑からも確保できます。シグニチャーはタンニンが柔らかく、守備範囲の広いワインです。大柄で力強い山のワインですが、プリチャード・ヒルに比べ早くから楽しめます。とは言っても、シグニチャーも10-20年はプリチャード・ヒル同様に熟成します。プリチャード・ヒルはそれよりずっと寿命が長いということです。◆ アイコン的地位を確立するまで――シャペレは、1970年代に先んじて大きな注目を集めましたが、その後に素晴らしい生産者が続々と出現しました。1990年に私がシャペレで醸造責任者になった時には、畑の植え替え、最高レベルの設備を備えた新しいワイナリーの設立などが待たれる状況でした。それにはかなり時間が必要と感じましたが、1996-7年には目に見える成果が出てきました。以来、高品質ワインの生産者として成長し、長い間その地位を保っています。そして2008年に新しいワイナリーが完成した時、次のステップに進んだと感じました。自分たちの醸造知識だけでなく、最新型の破砕機や光学式の選果機、完全な温度・湿度管理など、ワイナリーを新しくしたことですべてが変わりました。その変化は劇的で、ワインの味わいにも感じることができました。「自分たちはここまで来たんだ!」と言う感じです。確かに費用は莫大ですが、投資は正しかったと思います。自分たちが持つすべての可能性を伸ばす努力をしなければ次のレベルには到達しないのです。シャペレのスタッフは、皆働いて長いです。私の二人の助手も14-16年ここにいますし、他のワイナリースタッフも6-8年くらい一緒です。皆、何をすべきか分かっているので、収穫毎にチームを組みなおす必要もありません。プリッチャ―ド・ヒル◆ サステナビリティについて――ワイナリーで使用した水や雨水はすべて集めてバイオ精製システムを通して有機物を分解し、池に溜めて畑で使います。2012年にすべての畑がオーニック認証を受けました。畑のカバークロップ、微生物の住む土壌、コンポスト、鳥の巣箱等々、そのために多くのことを学びました。新しいワイナリーのソーラーパネルは醸造で必要するより多くの電力を供給できるので、冷暖房もすべて太陽光発電で賄っています。◆ 今後のこと――これまでの知識の蓄積があり、最後の区画の植え替えも終わったことから新しい畑を計画中です。所有地の中に8-10haほどの新しい畑を興す許可を取ろうとしています。その場所は、以前は開墾は費用が掛かりすぎると思っていましたが、今のプリチャード・ヒルの地価を考えると可能と思っています。この畑が加われば、今までと同じ質のワインを増産でき、ボルドーのシャトー同様、毎年1-2万ケースの偉大なワインを造れると思います。現在プリチャード・ヒル・カベルネの生産量は3,000ケースですが、目標は5,000ケース、シグニチャー・カベルネは1万2,000ケースから1万5-6,000ケースまで増やすことが目的です。ロバート・モンダヴィにとっては大した量でないかもしれませんが、シャペレは、質を高めることと量を増やすことを同時にはできません。2023年までには植え付けに着手したいと思っています。 *葉が丸まったり赤変を伴うウイルス性病害で欧州系の黒ブドウ品種で被害が大きく、低糖度、着色不良、収量減少などにつながる。 ** 黒ブドウ品種において8月頃から葉に徐々に赤い斑点が生じ、収穫時期が近づくにつれてそれが拡大し、ブドウの糖度が上がらなくなる。ウィルス性病害で長い間原因不明だった。≪ヴィレッジ・セラーズより≫初めてシャペレを訪問した時、プリチャード・ヒルの畑から見下ろすヘネシー湖の美しい景色にただただ感動したことを思い出します。傾斜がきつく、地勢が複雑に入り組んだ畑を見るにつけ、この土地にワイナリーを興すことを決意したドン・シャペレの情熱とパイオニア精神に尊敬の念が湧いてきます。「シャペレのワインは感性に富み、かつ雄弁。精妙な品質と個性を持ち合わせ、多くのワイン愛飲家を魅了する」とのヒュー・ジョンソンの評価は、70年代から続くフラグシップ「シグニチャー・カベルネ・ソーヴィニヨン」に見て取ることができます。