《デラタイトについて》冷涼気候のアッパー・ゴルバーンでワイン生産を営むデラタイトは、1968年にブドウ栽培を始めたロバート&ヴィヴィエンヌ・リッチー夫妻が1982年、自らのワイナリーを建てて醸造を手がけるようになった小さな家族経営生産者で、現在は息子のデイヴィッドが醸造家にアンディ・ブラウニングを迎え経営している。栽培面積は29ha、鉄分を多く含む赤色土壌、標高450-500m、多様な勾配の斜面は、北東から北西向き。ワイナリーは畑を見下ろす風光明媚な丘の上にあり、マウント・ブラーを見晴らす。2021年セラードアとレストランを改築。◆デラタイトの始まりデイヴィッド ―― 1960年代、すぐ近くのマウント・ブラーでよくスキーをしていた父は、南オーストラリアのワイン近代化に大きく貢献した立役者の一人ジム・アーヴァイン[i]に出会い、このデラタイト・リヴァー一帯はブドウ栽培に大変適していると聞かされました。次の年、母は牧場の囲いのそばに小さな「小枝の束」が放置されているのを見つけます。ジムがスキーに行く途中に置いて行ったもので、そのブドウの切り枝を当初は庭に、その後オーストラリアン・アルプスを見晴らす牧場の急斜面に植えました。この小枝の束は、リースリング、カベルネ、シラーズ、カリニャンの800本あまりの切り枝で、今でもドナルドソン・ブロックのカベルネ・メルロ、ロバート・ブロックのシラーズ、ヴィヴィエンヌ・ブロックのリースリングの基礎となっています。カリニャンは、この地が寒すぎて熟さないので1970年代半ばに引き抜きました。1972年ヴィヴィエンヌはベビー用バスタブと小さな圧搾機を使い、初めてワインを造ってみた。1970年から10年ほどは近くのミラワのブラウン・ブラザーズにブドウを売り、ブラウン・ブラザーズはそのブドウで特別限定ワインを造りました。1982年、トニー・ジョーダン[ii]とブライアン・クローザー[iii]が共同経営していたワインコンサルタント会社と契約を結んで自分たちのワイナリーを建て、醸造を始めました。同時にアデレード大学ローズワーシー校で醸造を学んだ5歳年上の姉ロスが醸造家として加わり、私も大学を卒業するとここに戻り、以来ずっといます。◆ ワイナリーとしての成長と変遷――1890年代に祖父のジェフリー・リッチーがマンスフィールドで最も肥沃な7,500haの牧場を購入したときから、私たち家族は将来に亘り農業を続けるには何が最も大切であるか、代々考え続けてきました。1970年にゲヴュルツトラミネールを植え、シラーズとカベルネも増やし、70年半ばにはピノ・ノワール、後半にはマルベックとメルロを植えました。80年代前半には当時の流行とこの地で育つ品種について検討した結果、1982年にシャルドネ、1986年にソーヴィニヨン・ブランを増やしました。80年代半ばに借金が大きくなりすぎたため、土地の一部を売却しました。自分たちは小規模生産者としては大きすぎ、しかし生産規模を上げるには小さすぎたのです。1982年の年間収穫量は50tでしたが、80年代半ばまでには100tになっていました。セラードアの売り上げも小さく、長年他の生産者や産地からブドウを購入することにも消極的だったので、収量の少ない年は苦労しました。当初からワインの80-90%は自社畑ブドウでしたが、2012年にリザーヴとエステート・レンジを100%自社畑とするとともに、自社畑のブドウと近隣の栽培家からの買いブドウをブレンドした「ハイ・グラウンド」シリーズを導入しました。この10年間に10-12haほど畑を拡張し、これからも植え付けを増やしていく計画です。それはデラタイトの畑がすべて自根で、台木は使っていないためです。フィロキセラはすでに近隣10-15㎞にまで迫っていますし、また古い畑は場所によって腕枯病(デッドアーム)を起こすユータイパ(Eutypa、カビの一種)に感染していて、植え替えが必要です。収量は1haあたり1.2-12.5tで、通常$30-35のワインでは採算が合いません。1本$100で売れるなら問題はないですが。◆ 気候変化とビジネスの潮流―― 現在、自社畑は29haです。おそらく30-32haまでは広げるつもりです。目下15-16種類の品種を植えています。以前は白と赤の比率は65:35でしたが、次の3-4年の間には赤が増えて、55:45になるでしょう。今でもリースリングとピノ・グリはたくさんあります。現在ピノ・ノワールを増やしたばかりですが、これから20-30年のうちには、ここはピノ・ノワールには暑くなり過ぎているかもしれません。1980年代は3月上旬に収穫してイースター後の満月までに収穫は終わりました。この10年ほど、2月上旬から中旬にかけて収穫を始め、イースター前には収穫を終えています。ほぼ4週間早くなっています。オーストラリアでは1970年代、収穫期が10年に1週間は早まるだろうと指摘されていました。赤ワインは、その間さらに熟度が1-2ボーメ上昇するので、その4週間の違いは実際には6週間の違いに匹敵します。1980年代にはシラーズやカベルネが12.5-13ボーメになれば大喜びをしていましたが、今では収穫が早まっても14-14.5ボーメは簡単に上がります。つまり20年後にはオーストラリアの多くの産地がブドウ栽培には暑過ぎる状態になる可能性があります。私はスペインやポルトガルのワインだけでなく、料理も文化も好きです。他の産地との違いを出すこと、また気候変動にも対応するため、2012年以降、スペイン系赤品種のテンプラニーリョ、グラシアーノ、トウリガ、ガルナッチャ(グルナッシュ)を植えていますし、これからモナストレル(ムールヴェードル)も植える予定です。◆ 基本的な考え方と今後の展望:バイオダイナミックに基づく栽培・醸造―― 子供たちが寄宿学校にいくまでは、マンスフィールドにあるシュタイナー学校に通わせていました。ルドルフ・シュタイナーの考え方自体、良く理解していませんでしたが、ビーチワースでのジュリアン・カスターニャ[iv]の勉強会などに参加するうち、今までとは違ったやり方が必要だということに気が付きました。それまでも自分たちの土壌があまり健康的でないことは気づいていました。父はそれほど化学薬品を使っていたわけではありませんが、農薬を使うときに鼻血を出すこともあり、それまでも除草剤や殺虫剤の使用については疑っていたので、バイオダイナミックに進むべきだとすぐに思い至りました。自分たちがやること、またはやりたいと思っていることは、すべて「テロワール」に基づいています。それは単なる土壌や気候ではなく、自分たちのブドウ、畑、土地との関わり方、ワインを造ることにどのようにアプローチするかであって、その場所すべてを意味します。ここデラタイトはユニークな場所です。周辺は数kmに亘って誰もいません。古い堆積土壌を有し、汚染がありません。周辺に大きな畑を持つ農家はありますが、誰もブドウ栽培をしていないことはもとより、果樹園もありません。ここでは誰にも邪魔されることなく、自分たちがベストと信じることに基づき、好きなようにできるのです。2000年代半ばまでの自分たちのやり方は、典型的にテクニカルなオーストラリア方式で、ステンレスタンクで人工酵母を使った発酵、品種により樽発酵、マロラクティック発酵後に澱引きし、フィルターを使って濾過し、清澄剤を使い、きれいなワインにするため亜硫酸をたくさん使っていました。現在の醸造家アンディ・ブラウニングはパスカル・マルシャン[v] の元で働いていた経験もあり、バイオダイナミックに興味がありました。今では以前より自然に近い形で醸造をしています。発酵は2009年より天然酵母で行っています。とても優しい発酵過程で、白は一部は大樽、一部は小樽100%で、風味というより全体の整合性、質感、複雑さを大切にします。タンクであれ樽であれ、すべて澱を含んだ状態で行ない、ときどき攪拌します。赤はすべて手作業でプランジング(棒でかき混ぜる)しています。◆ デラタイトらしさとは―― デラタイトでは複雑なことは何もしていません。デラタイトらしさは、その歴史、この場所の個性、バイオダイナミック農法とナチュラルな醸造アプローチ、そしてそれらがお互いに関わって生まれるものです。昔から価格以上の質のワインを提供してきました。栽培醸造チームは常にここで造ることができる最高の質のワインを提供するため努力を続けてきました。昨年にはセラードア、レストラン部門を充実させました。一般の消費者に好みのワインと食事を楽しんでもらう機会を提供することが一番大切なことだと思っています。2021年、畑の向こうにマウント・ブラーとオーストラリアン・アルプスを望む新しいセラードア&レストランがオープン。自然の中でたき火やヨガ、ナチュラルな食事、考えを同じくする地域の人々とのセミナーなどを楽しむイベント「ハーベスト・ムーン・フェスティバル」も行なわれる。《ヴィレッジ・セラーズより》デラタイトとの付き合いは、太くはないが、長い。20年ほど前に取り扱いを始めたが、蔵元の在庫とのタイミングが合わないと注文してもワインが来ず、結局そのままになるなどしながらも細々と続いてきた。恐らく2000年代初頭だったと思うが、初めて訪問した時の、人里離れた山中への道程、急斜面の畑、登りきると遠くに白く光るアルプスの峰は今も強く印象に残っている。現在ほど山間地の冷涼ワインが注目がされていない時代に新事業を始め、時流を見ながらも流されず、自分たちのスタイルで着実に事業展開をしてきたことが今回より一層理解できた。今では道路も良くなり、メルボルンから車で2-3時間、温かくカジュアルな雰囲気のセラードア&レストランも充実。近くぜひ再訪したい。[i] ジム・アーヴァイン:どこにでも気軽に出向くという、評判の高いワイン・コンサルタント。冷涼気候を好み、引退後は南オーストラリア州バロッサ、イーデン・ヴァレーで自身のワイナリーを営む。[ii] トニー・ジョーダン:ドメーヌ・シャンドン・オーストラリアはじめ数々のワイナリーの設立に関わる。一時はペタルマを創設したブライアン・クローザーとともにワインコンサルタント会社を経営。[iii] ブライアン・クローザー:アデレード・ヒルズのワイナリー、ペタルマの設立者。[iv] ジュリアン・カスターニャ:映画製作会社からワインメーカーに転身。1990年代末よりオーストラリアのバイオダイナミック農法によるワイン醸造のパイオニアとなる。[v] パスカル・マルシャン:カナダ出身で国際的に活躍するブルゴーニュ自然派の生産者。