2007年、ウンドラーガ・ファミリーによって設⽴された「ヴィーニャ・コイレ」。チリにおけるワインメーキングの新潮流から⽣まれた彼らのワインは、品質の⾼さと個性的なテロワールの表現で世界を驚かせました。ウンドラーガ・ファミリーは「ウンドラーガ」を経営してきたチリ有数の⼤⼿家族経営ワイン⽣産者で、兄マックスは「ウンドラーガ」で製造財務を担当していました。⼀⽅、弟のクリストバルは2000年から7年間、ローズ・マウント(オーストラリア)、フランシスカン・エステート(ナパ・ヴァレー)、シャトー・マルゴー(ボルドー)、カイケン(アルゼンチン)でワイン造りに携わりました。ウンドラーガ⼀家は2006年、「ウンドラーガ」を外部の投資家に売却、6世代に亘って積み重ねてきたワイン造りの知識と経験をもとに新しいワイナリー「ヴィーニャ・コイレ」を興し、クリストバルが海外での経験を⽣かして、栽培・醸造を担当しています。ウンドラーガ兄弟と⽗のアルフォンソ, 左から︓マックス、アルフォンソ(コイレ社⻑)、レベッカ、アルフォンソ、クリストバル◆ チリのワイン産業︓ 30年前マックス ―― 30年前、チリのワイン産業はボルドー品種が主で⾚はカベルネ・ソーヴィニヨンとメルロ、⽩はソーヴィニヨン・ブランとシャルドネだった。 その頃は何もかもがごちゃまぜで、 畑は皆、広くて平らな⾕(ヴァレー)につくられ、⾚と⽩は隣同⼠に並べて植えられ、テロワールという概念はまったく存在していなかった。畑では⾚も⽩も同じやり⽅で栽培され、摘み取りも全部まとめてやっていた。それは醸造所、ボトリングライン、お店やレストランにおいても同じで、「ボルドースタイル」というのは、やや軽やかなブルゴーニュスタイルより少し凝縮感がある、というだけの汎⽤名だった。今では収穫は3⽉から5⽉にかけて⾏なわれるが、30年前は、前年の10⽉には収穫⽇を決めていた。「じゃあ休暇から戻ったら、3⽉15⽇に収穫を始めよう」といった感じ。そして5⽉20⽇には収穫を終了した。シーズン中の天候とか、ブドウが未熟かどうかといったことは関係なく、とにかく機械的だった。当時は、ほぼすべて国内市場向けで、輸出は本当に始まったばかり。国内⽤は容量700mlのボトルで販売され、輸出⽤は750mlだった。⼩さな⽥舎町では5Lのボトルに⼊っているワインも売っていて、販売管理という概念もなかったのでどこでも誰からでもワインを買うことができ、皆地元で造られたワインを飲んでいた。1990年以前、⼤規模でブランド名が知られている⽣産者は数えるほどで、そのすべてが家族経営だった。ウンドラーガもその⼀つで、2000年の年間⽣産量は200万本だった。その他、⼩規模ワイナリーは⼭ほどあったが、彼らのワインは地元で消費されるか、もしくは⼤⼿メーカーにバルクで売られていた。そして⼤⼿メーカーはチリのあらゆるところでブドウを買い付けワインを売る独⾃のブランドや販売チャンネルを持っていた。◆ チリのワイン産業︓ ワインスタイルの変遷マックス ―― 当時もヴィンテージごとの特徴は確かにあったが、それが問題だった。ヴィンテージが切り替わり、顧客に新年号のワインを案内するとレストランチェーンのオーナーたちは「うちにある君のところのワインと味が違う。同じのが欲しい」と電話してくる。我々が「でも違うのは年号だけですよ」と答えると、相⼿は「それは君たちの問題で、私がほしいのは同じワインだ」と⾔う。それで仕⽅なく”同じ味わい”にするため、複数の年のワインをブレンドしなければならなかった。今⽇のやり⽅とは概念が全く異なっていた。クリストバル ―― 当時のチリでヴィンヤード⽤として購⼊されたのは、とにかく広くて平らな⾕部分の⼟地で、⽣産性は⾼く、そこであらゆる品種を⼀緒に植えて、育てる。それで通⽤していた。気候は問題なし、⼟壌もオーケー、⼈々はそれ以外の違う何かを追い求めることはしていなかった。その頃、ワイナリーでは「ラウリ」と呼ばれるチリ南部のブナの⽊から造られた、⾮常に⼤きく古い発酵槽が使われていたことを覚えている。その年のワインは8割を瓶詰めし、残りの2割を「ワインの⺟」として残し、翌年ワインを造るとつぎ⾜していた。ちょうどポートワインを造るような感じだ。残していたワインは酸化が⾮常に進み、ソーヴィニヨン・ブラン・ブレンドなどほとんどオレンジ⾊になっていた。でもそれが⼈々の飲み慣れたワインであり、輸出開始当初のチリワインだった。 90年代、⾚ワインはカベルネ・ソーヴィニヨンとメルロのブレンドが主だった。海外では、多くの⼈々がチリのメルロをとてもユニークな味わいと話題にしたが、それは実はメルロではなく、1994年にチリで再発⾒されたカルメネールだった。カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フラン、メルロ、カルメネールは品種の系統が同じで、葉の形もとても似ていて、特にカルメネールとメルロは多くの畑でまぜこぜになっていた。 本来、カルメネールは熟すまでに⾮常に時間がかかり、収穫はメルロより1ヶ⽉遅い。しかし、メルロと⼀緒に早く摘み取っていたため独特の⻘唐⾟⼦のような⻘っぽさがあり、それがメルロとブレンドされていた。こうしてチリのメルロが国外で⼤きな成功を収めたことをきっかけに、チリでは⾃分たちがこの⼟地で得ているものは何か、ワインのフィネスや異なる品種ごとの最⾼のテロワールとは何か、考える機運が⽣まれた。90年代はチリのワインブランドが本当に成⻑を始めた時期だった。海外からの需要が増加し、単⼀品種やよりフレッシュでフルーティな味わいなど「他との違い」が求められるようになった。そして我々は栽培、醸造⽅法、醸造設備などに外部からの専⾨知識を取り⼊れ始めた。ステンレス槽の導⼊や樽とワインの接触を増やすための⼩樽の使⽤などもこの頃から始まった。◆ コイレ︓ 畑を造るマックス ―― チリの⾕(ヴァレー)は天候に恵まれ、⼟壌は肥沃、地形は個性的で素晴らしい栽培条件を備えている。しかし2000年代になり、標⾼の⾼い場所を探索してみると、⼭腹は⾕にも増してエキサイティングなことが分かった。⾼品質の⾚ワインを造るのに理想的なテロワールを⽗であるアルフォンソ・ウンドラーガ・マッケナとともに探し、最終的に⾒つけたのが、いま私たちが所有している、アンデス⼭麓アルト・コルチャグアに位置するロス・リンゲスの⼟地だ。この1,100haの⼟地に⾒られる微気候と地質の特性は、コイレを始めるにあたって重要な要素で、ブドウ樹の選別はこの地に完璧に適するよう慎重に⾏なった。我々のテロワールの⾒極め⽅は、クリストバルが1年間働いたシャトー・マルゴーのマネージング・ディレクター、故ポール・ポンタリエの影響を強く受けている。クリストバル ―― ⼟地を⾒つけてからは、”Dr.テロワール”の呼び名もあるチリ有数のコンサルタント、ペドロ・パラの協⼒も仰ぎ、5つのマイクロ・テロワールを特定した。現在、コイレでは80haにブドウ樹を植えている。 ロス・リンゲスでは標⾼500-650mの間の斜⾯が3段階のテラス状の畑に分かれ、⼟壌は7割が⽕⼭性、3割が粘⼟質で、標⾼が上がれば上がるほど⼟壌は⼊り混じる。「グラン・レゼルバ」レンジ向けのブドウを栽培するテラス1の⼟壌は、20-25%が粘⼟質で、野球のボール⼤ほどの岩が混じる。テラス2は「ロヤール」レンジ向けで、10-15%が粘⼟質、混じる岩の⼤きさはサッカーボールほどになる。そして最も標⾼が⾼いテラス3は、⼟壌の5-10%が粘⼟質で、岩の⼤きさはバスケットボールほど。トップレンジの「アウマ」と「セロ・バサルト」は、テラス3の区画のブドウを選別して造っている。テラス1のブドウ樹1本あたりの収量は1.5kgで、テラス3では800g/本と、密植度と収量はテラスごとに異なる。設⽴当初からコイレは「その⼟地を表現すること」にフォーカスしてきた。それには⼟地の⽣態系が鍵となる。まず有機栽培から取りかかったが、その後すぐテロワール⾃らが⾃分⾃⾝を本当に表現できるよう、バイオダイナミック栽培へとフォーカスを移した。 バイオダイナミクスは⾃分たちが⼟地と向き合い、その声を聞く術を⾒せてくれた。化学的な介⼊をしないため、我々の畑では鶏を飼って⾍を駆除し(卵はスタッフに提供される)、野⽣の鷹がブドウの実を好む⼩さな⿃たちを追い払い、天然の堆肥を施す。ここにはキツネより⼤きな野⽣の⾁⾷獣はいない。マックス ―― クリストバルは敷地の中、畑のすぐそばに住んでいて、毎⽇畑の中を歩き回り、常に⼟地と接してきた。もちろんこういったことすべては時間を要するもので、植え付けからワインの⽣産開始までに5年、⾼品質のワインとなるとできるまでに10年はかかる。コイレの畑(コルチャグア・ヴァレー、アルト・コルチャグア)◆ コイレ︓ ワイナリーを造るクリストバル ―― ワイナリーでは、とにかくブドウがすべて。醸造では常に、ブドウの持つ活⼒を引き出すことに注⼒している。醸造の過程はブドウによって本当にさまざまで、発酵の温度、樽の⼤きさ、熟成期間など状況によって変わり得ることにも細かく対応できるようになっている。現在ロス・リンゲスのワイナリーには発酵に関して87のユニットがあり、それぞれ異なるアプローチで醸造に取り組むことができる。差異の多くは微妙なものかもしれないが、選択肢がそれだけあるのは贅沢なことと思っている。我々はこの細かく具体的な醸造アプローチを10年続けてきた。それはキッチンでさまざまな⾷材をあれこれ楽しく料理し、その最中に何かひらめいたりしながら⽇々楽しく過ごすようなものだ。⾃分は、それぞれの分野で真の指導者となっている⼈たちを常に探し求めている。専⾨性が全てで、樽もそうだ。その結果、コイレの樽は100%フランス産となった。アメリカンオークやチリ南部産のオークも試したが、フランスのオークがもっとも質がよい。発酵槽に関しても同様に検討した結果、1920年代からコンクリート槽の製造を⼿がけてきたフランス、ノムブロ社の助けを借りてローヌのM.シャプティエから卵型のコンクリート槽を調達している。ワインは世界全体で、より洗練されたスタイルへと向かっている。50年前、⼈々は世界中を今⽇のようには動き回っていなかった。 洗練へと向かうトレンドは、⽔、塩、コーヒーといったシンプルなものにも⾒てとれる。 これは⾮常に基本的なことで、50年前、⽔は「⼀杯の⽔」でしかなかったが、いまレストランではボトルに⼊った⽔にいくつもの選択肢がある。 ⽇本でいえば⽶も同じでしょう。 ⼈々はそれが造られた⼟地と関連づけた上で商品を求めるようになっている。 チリのワインに関しても同じことが⾔える。◆ 気候の温暖化クリストバル ―― 過去5年を振り返ると、収穫期は早まっている。地球温暖化の影響で年間降⾬量は減り、夏季の平均気温は⾼まり、⾃分たちも慎重に数値を⾒ているが、バイオダイナミック育成の畑は様々な条件に⾃分たち以上に敏感に反応している。 我々の⼟地で育つバイオダイナミック栽培のブドウは近隣の畑よりも早く熟す。コイレのブドウ樹は我々は毎年、近隣の⽣産者たちに⽐べて3週間早く収穫している。秋になると違いがよく分かるが、気温が下がってくると、化学肥料を使⽤している近隣の畑ではブドウ樹の葉はまだ濃い緑⾊をしているがコイレでは美しい紅葉が始まる。◆ 樹齢と果実の質クリストバル ―― 畑には動物、昆⾍、ブドウ樹の根がすべてつながり合う⾃然の⽣態系がある。まるでインターネットのように。樹齢が⾼まれば⾼まるほど根は深くなり、植えられている⼟地との疎通がよくなる。このような樹と⼟との関係を栽培する⼈間が尊重することで、樹は起こりうる変化により敏感に対応できるようになり、それは複雑さとしてワインに反映される。⼀つ所で⽣まれ育ち、やがて枯れる植物は宇宙の秩序や調和に我々よりもはるかに敏感で、深く関係している。私の⽗は昔ながらの⼈で、私たちは畑で農事暦を使っている。潮は⽉が満ちるのにつれて上昇し、⽉が⽋けるのにつれて引くが、ブドウの樹液にも同じことが起こる。満⽉から新⽉に⾄る間に枝を切っても樹は泣かないが、 反対に新⽉から満⽉へと⽉が満ちていく間に剪定すると樹が泣く。不思議なことが起きるのだ。⼟地に寄り添って働けば働くほど、その⼟地を表現するためには何が必要か、何を微調整すればよいか、⾃然や⽣態系が教えてくれる。《ヴィレッジ・セラーズより》チリからの取扱いの話は以前からあったが、「なぜチリワインなのか」という納得に⾄らず、コイレも輸⼊を決⼼するまでには3年ほどかかりました。決め⼿となったのは、送られてきたサンプルの質の良さです。2016年、初めてコイレを訪問し、それまでも兄弟に漠然と感じていた「情熱的でありながらすこぶる合理的で緻密な⼈柄」を⼤⾃然に寄り添いながら綿密に⾏われている畑作業に再認識しました。広⼤な敷地に両親・兄弟皆の家が適度な距離をとって造られているが、居住し ているのはクリストバルだけ。クリストバルが畑を歩き回るときのお供は⼤きな2匹の⽝で、彼らが畑でウサギを⾒つけてから⾷べ終わるまではほんの数秒の出来事でした。