◆ ワイン産地としてのハンター・ヴァレー、その気候と地形―― ハンター・ヴァレーはオーストラリアで最初のワイン産地で、最初にブドウが植えられたのが1828年。今から約200年前で、以来銘醸地として知られています。収穫は通常1月下旬と、オーストラリアで最も早く収穫が始まるので、暑い産地と思われがちですが、高い湿度と谷の地形のおかげで、気温は暑くなりすぎることも寒くなりすぎることもありません。果実はボーメ(Baumé)が低いうちからきれいな風味を出します。ハンター・ヴァレーでセミヨンを10.5ボーメで収穫すると、きれいな柑橘の風味、完璧な酸と、すべてにバランスが取れています。おそらくどんより曇った天気と湿気の影響でしょう。ハンター以外、どの産地もセミヨンを10.5ボーメで収穫すればピーマン・ジュースのような果汁になります。 毎朝谷を覆うように湧く霧、谷間の形、風の流れなど、ここならではの特徴があるのです。また幸運にもすぐ後ろに山並みがあり、陽が山の後ろに沈んで早く影になるので、真夏でも午後5時から5時半には暗くなります。暑い午後の強い日差しから数時間守られることは肝心です。ハンター・ヴァレーは、全オーストラリアワインの1%にも満たない小さな産地です。それでもオークションハウス「ラングトンズ」で高評価を受けるハンター・ヴァレーワインの数を見ると、先人たちがいかに産地を理解していたか分かります。◆ マウント・プレザントの4つの畑――ハンター・ヴァレーは様々な要素が混じりあっています。ラヴデイル(MAP③)は砂質土壌で、軽く香り高いワインを生みます。ハンターの他社のセミヨンと比べてもその特徴がよく出ています。ローズ・ヒル(MAP④)は石灰質土壌の上に赤い土壌が広がり、素晴らしく繊細な赤ワインを生みます。ワイナリーがあるオールド・パドック(MAP①)とオールド・ヒル(MAP②)はとても厚い古い火山性土壌でブドウ樹は深くまで根を伸ばします。 オールド・ヒルは元々3haでしたが、それでも1880年当時としては大きな畑でした。ブドウの根は3-4m延びています。灌漑設備が導入されたのが2002年で、それまで120年間、灌漑が必要な時は手作業で水やりをしていました。自分の祖父が生まれた1920年には、これらの樹はもう40歳だったのです。ブドウ樹はいろいろなことを経験してきたと思うと、感慨深いものがあります。面白いことにマウント・プレザントの古木の姿は、写真で見るバロッサのねじれた太い幹の古木とは異なります。 オールド・パドックは、創立者のモーリス・オシェイが1921年に植えた0.7haの畑に始まり、オーストラリア最古のピノ・ノワールの畑です。結果として、マウント・プレザントはオーストラリアで樹齢50年以上の畑を最も多く所有していると思います。◆ 高樹齢の畑とその収量―― 樹齢が高いと収量は極端に少ないと思われるでしょうが、3haのオールド・ヒルは3t/haと、収量はかなり高いです。一方、最も若い樹でも5t/haと若木にしては少ないです。しかし、収量より大切なのはキャノピーのサイズ、そして結実したブドウが熟すかどうか、果実の凝縮度と力強さです。ブドウは年月をかけて今の形に実をつけているので、急に増やしたり減らしたりはできません。バランスのよいキャノピーで自分たちの目指すバランスのブドウを育てることが大切です。キャノピーが大きくて収量が少なければ、ブドウは不均等に熟します。◆ モーリス・オシェイがオーストラリアの食卓にもたらしたもの―― モーリスは、オーストラリアワイン醸造の元祖です。15歳のときに船でフランスに渡り、モンペリエ大学で醸造を学び、テーブルワインに関する膨大な知識を持ち帰りました。それまでのオーストラリアにはなかったもので、彼は見事にその市場を切り拓いたのです。彼のワインのいくつかはオーストラリア最高のワインと評されました。ジェームズ・ハリデーの「それまで試飲した最高のワイン5つ」のうち2つはマウント・プレザントです。モーリスは1956年に亡くなりましたが、ワイナリーに電気が通じたのはその3ヶ月後でした。彼は電気の通っていない中、友人や家族に手伝ってもらいながらワイン造りを行っていたのです。 モーリスには友人が沢山いました。人をもてなすのが大好き、料理をすることも大好き、そしてアートをこよなく愛しました。モーリスはオーストラリアワイン業界に生涯を捧げ、それまでオーストラリアが知らなかったものをオーストラリアの食卓にもたらしたのです。彼は時代よりはるかに先んじていました。◆ マウント・プレザントに参画して10年―― 2023年は、私の9回目のヴィンテージでした。2013年にスタッフが大きく変わり、30年間主任醸造家だった前任のフィル・ライアンが引退しましたが、彼は資料を多くは残しませんでした。ほぼ同時にマウント・プレザントにやってきたジム・ケイトウと私は、まずは過去を理解し、その上でマウント・プレザントの将来をどうするか話し合いました。時代の要請でもあったでしょうが、樽香が強くなりすぎていると感じていたので、それぞれの区画に光をあて、別々に醸造し、畑だけでなく、その区画の違いも味わえるよう別のワインとして瓶詰めしました。ジムが始めた企画ですが、彼が2016年にマウント・プレザントを去ってからは、私が常に意識していることです。マウント・プレザントのワインを飲んだ人が、「エイドリアン・スパークスのワインだ」というのではなく、まさに「ローズヒルのワイン」、「オールド・パドック」、または「オールド・ヒル」と感じることが大切だと思っています。◆ 過去の偉業と新しいブランディング―― 2012-13年頃、小さい発酵槽を導入し、小分けに醸造をするようになり、大きく変わりました。長い間オーナーだったマクウィリアムズが破産申請をし、2021年5月に新しいオーナーがマウント・プレザントを購入しました。それからは手入れが行き届いていなかった畑などにも投資が進みました。ワイナリーに新しい設備が導入され、タンクを置くスペースも充実、選果をする設備も最先端となり、トップレベルに質が向上しました。 今は、素晴らしい畑で収穫された質の高い果実の品質を維持しながら、ワインとして瓶に詰める、という目標に向かい、「質」を第一に、皆がチームで取り組んでいます。結局、ワイン造りは農業です。気候に左右されますが、畑が生み出す最高のものをチームが一丸となってワインとして表現すること、それこそがモーリスが残した教えで、今、チームを突き動かしている原動力です。 新しいセラードアは、アート、フード、ワインが揃い、訪問者がマウント・プレザントを体験し、より深く理解できる場所になりました。ブランディングにも力を入れ、モーリス・オシェイのオリジナルの家紋をワインのラベルに使用する権利を買い戻しました。オーストラリアで最も有名なワイナリーの一つとして、世界に評価されるよう、マウント・プレザントの過去の偉業にふさわしいブランディングを目指し、積極的に普及活動に努めています。◆ ハンター・ヴァレーのセミヨン、シラーズ&ピノ・ノワール―― ハンター・ヴァレーのセミヨンとシラーズを特徴づけているのは気候でしょう。セミヨンのボディは軽めで、収穫の3-4ヶ月後には瓶詰めされます。ハンター・セミヨンの魅力は、瓶熟の寿命が長く、時間とともに瓶の中で熟成し風味が変わっていくことです。シラーズは、中くらいのボディで、アルコール度は13-13.5%ですが、ピュアで力強く、凝縮感があり、それでいて控えめでエレガント。バランスよく風味豊かなワインです。若くても十分楽しめますが、オーストラリアの他の産地のワインより寿命が長いと思っています。 ハンター・ヴァレーのピノ・ノワールはタンニンが非常に強いですが、熟成につれタンニンが柔らかくワインに溶け込み、素晴らしい味になります。辛抱強く時間をかけて熟成させると素晴らしいワインになります。1937年、モーリス・オシェイは、軽く薫り高いシラーズにストラクチャーを与えるため、オーストラリアで初めてタンニンがより凝縮したピノ・ノワールをブレンドしました。彼は素晴らしいブレンド・テクニックの持ち主で、ワインに他の人には見えないものを見ていたと思います。ここでも彼は率先して新しいことをしています。 ピノ・ノワールの畑は1921年にモーリスが植えたものです。ジェームズ・バズビー・コレクションの原木から取られた切り枝で、今ではクローンMV6と命名され、オーストラリアのプレミアムピノ・ノワールの60%を占めるほど普及しました。タスマニアやヤラ・ヴァレー各地で使われているピノ・ノワールのすべてがこの区画の1本のブドウ樹、マザー・ヴァインに由来しているのです。◆ 2020年の山火事と2023年ヴィンテージ―― 2020年は、ここから15㎞南の山が火事になりました。約2ヶ月間煙に包まれ、何日も空が見えず、一面オレンジ色でした。ラボでいろいろテストを繰り返し、少量での発酵もしましたが、どれも煙の臭いがついていたので、最終的に収穫しない決断をしました。高品質ワインの生産者の名声を確立しつつあるところでリスクは冒せません。財政面では大打撃ですが、長期的には正しい判断でした。 2023年は素晴らしいヴィンテージです。自己評価は100点満点で、グレート・ヴィンテージと言われる2014年と2018年に匹敵する年です。2022年9月初旬は大雨が続き、暗い見通しでしたが、その後、冷涼で乾燥した天候が続き、収穫が例年より3週間遅れました。その間に風味・力強さが増し、タンニンも凝縮しました。冷涼な夏が恵んでくれたとても美しいワインで、果実の質、色、風味など、白も赤も素晴らしい年です。