◆ ワインへの興味ビル ―― 私の出身地カリフォルニア州サクラメントは食材が豊富で母が料理好きだったので、毎晩夕食は料理とワインを楽しんでいました。ワインは地元で造られたまあまあの質のヴィノ・ターヴォラ(テーブルワイン) 、土曜日の夜は少し質の良いワインでした。姉と私が大きくなるにつれ、水で半分に割ったワインをもらえました。大学卒業後、ベアフット・ワインズとデイヴィス・バイナム・ワインズを造る都市型ワイナリー(現在ソノマ・カウンティにある)の雑用係をすることになりました。オーナーのデイヴィス・バイナムはサンフランシスコ・クロニクル紙の記者兼ホームワインメーカーで、私はUCバークレー在学中から彼のワインを買っていました。ワインの質は良く、学生でも買える手頃な価格でした。私はテイスティング・ルームでアルバイトをし、彼がワイナリーをソノマに移転する時にも手伝いました。デイヴィス・バイナムがテイスティング・ルームを閉めた後、私は2人のパートナーと組んで1978年3月、ノース・バークレー に「ソラノ・セラーズ」というワインショップをオープンしました。手頃な価格のワインを提供する庶民のためのワインショップで、すぐに西海岸を代表するワインショップに成長しました。店ではドイツのリースリングからフランスのブルゴーニュやローヌまで、あらゆる産地のワインを売りました。私がワイナリーを興すのは1980 年代半ばですが、自分と家族を支えるための収入源を確保する必要があったので、この店は1994 年まで続けました。◆ ワインショップ時代のベイエリア―― 1980年前後は革新的な時代でした。我々の店のあるサンフランシスコ湾を望むベイエリアはバークレーの“グルメ・ゲットー” (美味しい店が密集する地区)と呼ばれ、数々のレストランやワイン商などが集まっていました。ワインショップでは良質な0.5ガロン(約2L)の大瓶ワインをよく販売していましたが、その生産者は代々続いてきた主にイタリア系の家族経営の生産者で、その中には、家族がサクラメントで飲んでいた「ダゴスティーニ・リザーヴ・バーガンディ」もありました。ダゴスティーニはアマドール・カウンティで禁酒法時代を生き抜いた最後のワイナリーです。店ではそれに加え、小規模生産者が職人的に造る面白いワインも扱いました。舌が肥えてくると、海外の小さな家族経営ワイナリーのワインの輸入も始めました。うちはオレゴン・ピノ・ノワールを本格に販売し始めたカリフォルニアで最初の店です。◆ ローヌ品種との出会い―― ベイエリアにはカタログで輸入商品を売る独立系の小規模な業者がたくさんいて、ワインを持った営業マンがよく店にやってきたので、カタログに紹介されているワインをたくさん試飲しました。1980年、このあたりでイタリアワインを販売している人はあまりいなかったので、店ではニール・エンプソンがカリフォルニアに輸入したイタリアワインを売り始めました。1983年に初めてヨーロッパへ行き、それからは生産者を訪問してはユニークなワインを持ち帰っていましたが、そうこうしているうち、ローヌ品種に魅了され、ローヌ品種のワインを造りたいと思うようになりました。その頃、主流ではなかったローヌ品種に興味を持ち古い畑を探していた私を含む12人ほどの造り手は、アメリカで有名な西部劇の主人公「ローン・レンジャー」になぞらえ、「ローヌ・レンジャーズ」と呼ばれていました。◆ シエラ・フットヒルズでワイン造りを始める―― 1985年からシエラ・フットヒルズのブドウで定期的にワイン造りを始めました。シエラ・フットヒルズは花崗岩の火山性土壌でフランス、ローヌ渓谷の土壌に非常によく似ています。ここのテロワールを詳しく調査して、さらに標高の高い冷涼な場所での畑の開墾・計画を手伝ったり、自分専用にブドウ樹を植えてくれる栽培農家を開拓したり、さらに古くから存続するジンファンデル畑の栽培農家と一緒にワインを造ったりしました。初年度の生産量は50ダースでしたが、すぐに250ダースまで増え1990年までに生産量は約1,300ダースになりました。ワインの小売業から退いた1994年には、生産量は約3,500ダースに達していました。◆ 当初の醸造方針とワインのスタイル―― 最初はブレンドワインを造っていました。この地域のワインには往々にして素朴な荒っぽさがあるのでブレンドすることで改善できると思ったからですが、やがて問題はワイナリーで使用している機材や技術や樽にあることが分かりました。基本的にワインは非常に優しく扱うこと、そのためにワイナリーでは、動力ではなく、自然の重力を利用することを学びました。ですから、ワインが発酵を終えてからのポンピングはあまり行いません。うちでは手作業でタンクから果皮を取り出し、重力を利用してプレス機に果皮を投入しています。自社ワイナリーは1994年に建設しましたが、我々の醸造設備は当時他のワイナリーが所有していた機材と比べるとはるかに高級でした。圧搾機と破砕機はドイツ製、熟成にはブルゴーニュ産のオーク樽のみを使用、醸造の工程はワインに優しい方法に徹しています。ワイナリーは1999年に改築し、拡張しました。◆ シェナンドー・ヴァレーとフィドルタウン―― 自社畑は、シエラ・フットヒルズAVAのシェナンドー・ヴァレーとフィドルタウンにあります。シェナンドー・ヴァレーは大部分が細かく分解した花崗岩ですが、フィドルタウンは同じ花崗岩土壌に火山性土壌の層が混じり、場所によって土壌構成が異なります。どちらもほとんどが赤土(テール・ルージュ)で、鉄分を含んで赤みを帯びた土壌で、赤白どちらの品種にも適しています。フィドルタウンの方がシェナンドー・ヴァレーより標高が高く、土中の温度上昇が遅いです。フィドルタウンは標高約600mの峡谷にあり、標高約1,200mから降りてくる冷たい空気の影響で、ブドウ樹の生育は、春はシェナンドー・ヴァレーより遅く始まり、秋は約2週間ほど遅く終わります。◆ 栽培とサステイナビリティ―― 1999年から自社畑に主にローヌの品種と少量のジンファンデルを植え始めました。自社畑は9.6haですが、つい最近、息子が新しい土地を購入したので、畑は4ha増えました。毎年手頃な価格帯のワインを7、8種類、合計約 5,000 ダース造っています。そしてリザーヴ・クラスのワインは各400ダースです。畑での栽培は、60年代後半から70年代前半にパーマカルチャーと呼ばれた自然のエコシステムを利用とした持続可能な農法で、当初から厳密にリジェネラティブ(再生)、有機栽培です。除草剤は一切使わず、除草や耕作はすべて手作業で行っています。カバークロップは伸びると刈り入れ、土に混ぜて耕しています。ここ数年、乾燥し湿度が低かったため、この4年間は畑に防腐剤を散布していません。防腐剤は水に有機硫黄を混ぜたもので、海藻もしくは昆布を同時に混ぜることもあります。その場合も量は最小限にとどめます。◆ 醸造:エレヴァージュとブレンディング―― 畑が山岳地にあるので、ワインは酸が多く、力強く、ストラクチャーもしっかりしたものになります。私の醸造は基本、還元的で、エレヴァージュ(発酵後、瓶詰めまでの熟成の過程でワインのバランスや風味を向上させること)には神経を使っています。通常、最初の1年は澱引きしません。特にグルナッシュは一度も澱引きせず、澱ととも寝かせます。リザーヴクラスのシラーの場合は一度樽から取り出した後、再び樽へ戻し、さらにもう1年熟成させます。樽から瓶に詰める際もワインが酸素に触れないようにしています。エレヴァージュの過程で、強制的に酸化熟成させて飲みやすくし、瓶詰後すぐにリリースするのではなく、瓶詰めしたワインをワイナリーでしばらく寝かせ、ゆっくり熟成を進めてからリリースするのです。ワイナリーにとっては大きな投資ですが、そのように造られたワインは、リリース当初から風味は柔らかく、その後さらに熟成が進行し、よりおいしくなります。ブレンドもワインメーカーの重要な仕事です。高品質のグルナッシュは、色調を上げて香りに複雑さを加えるためシラーを少量、さらに色に深みを加えるため、ムールヴェードルを加えることもあります。我々のグルナッシュのブレンド割合は、通常グルナッシュが 65-75%、他の品種はそれぞれ10-15%です。一方、シラー単一品種のワインはブレンドのアプローチが異なります。自分が求めるバランス、複雑さ、熟成力、芳香さ、口当たり、テクスチャーと余韻の長さを追求し、納得するまで何度でも繰り返します。オーク樽は年数、産地、焦がしの程度が違うものを使い分け、ブレンドの選択肢を増やします。作業を容易にするため、殆ど225Lのバリック樽を使用しています。個人的に気に入っている500L樽もいくつか使っていますが、重いので1人で作業するのは大変です。ワインに新樽の風味が出るのは避けたいですが、ワインの瓶内熟成が進むと、オーク樽の風味はワインと一体化します。◆ テール・ルージュとイーストン、2つのブランド――「 テール・ルージュ」のブランドは我々がブドウを育てる赤土土壌(テール・ルージュ)へのオマージュで、ローヌ・スタイルのワインです。「イーストン」はローヌ品種以外のブランドで、最初のジンファンデル、つまりローヌ品種以外のワインを造る時、ブドウの購入資金を提供してくれた父に因んで名付けました。◆ 今後の取り組み―― 今、面白いプロジェクトとして、 息子が購入した土地でベネチア・クローンのソーヴィニヨン・ブラン、アスティ・クローンのバルベーラを植え、それぞれ他のクローンと分けて瓶詰めしています。また、そこには古木のジンファンデルの畑があり、同じ土地のプティ・シラーとトゥリガ・ナショナル、ソウサォン(ともにポルトガル品種)をブレンドして「カンポ」という赤を造っています。私が最も興味があるのは古木の畑からワインを造ることです。自分たちの得意分野を生かして、今はジンファンデルの古木単一畑のブドウから、それぞれの個性を表現するワインを4-5アイテム、畑ごとに造っています。また単一畑シラーもいくつかあります。【アマドール・カウンティ】アマドール・カウンティ(シエラ・フットヒルズAVA内)に最初のブドウ樹が植えられたのは1850年代、ヨーロッパから多く来ていた金の採掘者目当てだった。それから数十年のうちに主鉱脈が走る地域には100を超えるワイナリーができた。その後、金鉱脈は枯渇、1920年に禁酒法が導入されると開拓地のワインコミュニティは荒廃したが、1960年代後半になると、新しい世代のパイオニアによるワイン産地として生まれ変わった。アマドール・カウンティの特産はジンファンデル、カリフォルニアを象徴する品種である。 丘陵地斜面の古い無灌漑畑に植えられた低収量のブドウ樹は、殆どが自根の株仕立てで、今でも古木のジンファンデルの大切な供給地だ。アマドール・カウンティには2つサブリージョン、カリフォルニア・シェナンドー・ヴァレーAVAとフィドルタウンAVAがあり、テール・ルージュとイーストンのワインはこの2つの産地およびシエラ・ネバダ山脈の麓南北に広がるシエラ・フットヒルズAVAから造られる。参考:Amador County Vintners Association ー amadorwine.com