Q: 2005年までは?ジェイソン――記憶にある最初のヴィンテージは1973年で、まだ随分小さかったです。17歳になるまでずっと父と一緒に働いていましたが、その夏フランスに行く機会があり、ブルゴーニュの伝説的ブローカーと称えられるベッキー・ワッサーマンのところで1ケ月過ごし、ドルーアン家に行って、ワイナリーでも働きました。帰国後は、まだ10代だったので他のこともしたく、10年間、家族と離れて暮らしました。そして1997年、身内のように感じるブドウがたまらなく懐かしく、家族が恋しくなり、家に戻ってきました。父とはぶつからないよう数年間過ごしましたが、2005年にようやく父から「これからはお前がいつ収穫するかを決めろ」と言われ、セラーのカギを手渡されました。それから自分がアイリーの“世話をする係(caretaker)”になったわけです。Q: 次の世代へ引き継ぐための“世話をする係”が自分の役割と思っている?―― 父はパイオニアで、パイオニアにはそれなりの特別なエネルギーが必要です。父は世界中を見てピノ・ノワールを植える場所を探しましたが、私の場合、ブドウはすでに植えられているわけです。私や一緒に働いてくれている人たちのエネルギーは、ここをどうやって維持管理し、発展させていくかに向けられます。この土地とここで働く人たちを責任もって守るのが自分の役目です。自分が引退するまでに、アイリーのためにすることは3つです。家業を継いだのが35歳と遅かったので、残り25年しかありません。ワイン事業で25年は長くないのです。まず第一に、父は素晴らしいワインのライブラリーを遺してくれましたが、コルクに問題があり、どのボトルを販売できるか見極めに問題がありました。これに関しては技術的にほぼ解決しました。現在使用している「栓」はどれも大変効果的で、すでにライブラリーからのワインの販売を始めています。ワインはどれも素晴らしい熟成状態です。 2つ目の課題は、アイリーのすべてのブドウ樹が自根であることです。父がここにやって来た1960年代半ばには、オレゴン州西部にフィロキセラ禍はまだ存在していなかったので、当然父は樹を自根で植えましたが、私が戻ってきた頃には、見つかりつつありました。畑を適切に管理することで病気の広がるスピードを遅らせることはできていますが、何か手を施す必要があり、現在、台木を集中的にテストしています。新しく植え付ける時は、それぞれの樹が小さな実験室のようなもので、どの台木が自分たちの好む農法に最も適しているかを探っています。本来は自根が理想なので、自根に最も近い形状の台木を見つけようとしています。年間に畑全体の4%を植え替えたいと思っていますが、その時間がなかなかとれません。3つ目の課題は、ワイナリーの建物です。1940年代後半に建てられたものですが、元々ワイナリーを意図した建造物ではなく、建物は何十年にも亘って90%の湿気を含んでいます。規模が小さ過ぎて、今後50年間ここでワインを造り続けることができるか、構造的に問題があり、新しいワイナリーを建てる必要があります。その建設資金を作るため、2020年3月にテイスティング・ルームの基礎工事をする計画でしたが、このコロナ禍で今のところ保留です。ワイナリーに掲げられるロゴQ: パイオニアであるとは、どういうこと?―― 振り返ってみれば、父がここに来たのは24歳で、それまでウィラメット・ヴァレーに来たことはなかったです。しかし彼は大学で哲学、その後ブドウ栽培を専攻、沿岸警備隊で医療隊員を務め、8ヶ月間ヨーロッパを旅行、そこでワイン産地を訪れ、ヨーロッパの伝統的ワイン造りは気候に適した品種を植えることだと知りました。父がアイリーを創った目的は、ピノ・ノワールに最適な場所をブルゴーニュ以外に見つけて植えることで、世界各地の中から選んだのがウィラメット・ヴァレーだったのです。ここに来るにあたり、父はピノ・ノワール以外にもこの地の気候にあう品種を検証し、土壌や降雨パターンを調べあげ、多くの知識で武装してやってきました。しかし、ここに来てから分かったのは、気候は数値だけでは表現できないということだったと思います。ワインの最も魅力的なところは、毎年毎年ブドウはどんな気候でどんな経験をしたか、それがワインの中にしっかりと記録されることです。ヴィンヤードの様子Q: ピノ・ノワールについて:単一畑のピノ・ノワールを造る理由は?―― ワインの生産量は父の頃とほぼ同じで、現在も年間約9,000ダース生産しています。父の時代と違うのは、父は7種類のワインを造っていたのに対し、私になってからは22種を造っています。まず父が造っていなかった新しい品種、トゥルソー、ムロン・ド・ブルゴーニュ、シャスラなどを造ってみたいと思いましたし、新しい技術を取り入れ、現在はスパークリングワインも造っています。ピノ・ノワールに関しては、以前は、すべての畑のピノをブレンドしたエステート・ピノ・ノワールと2つの単一畑のピノ・ノワール、つまりオリジナル・ヴァインズとサウス・ブロック・リザーヴのみを造っていました。しかし、エステート・ピノ・ノワールとして一緒に瓶詰めされると、それらのブドウが生み出される場所がどのように歳を重ねていったか、時間の経過とともにそれぞれの場所の何が特別だったか、フィロキセラ禍や気候などの問題にどのように反応するのか、分からなくなってしまいました。そこで、最初は自分のためだけに単一畑のピノ・ノワールを瓶詰しました。自分にはとても面白い試みで、他の人も興味を持ってくれるのではと思いました。オリジナル・ヴァインズとシスターズの単一畑は年産約400ダースですが、その他の単一畑はそれぞれ200ダースほどの小規模なプロジェクトです。Q: 5つの畑のブドウはどう違う?ジ・アイリー・ヴィンヤーズの5つの自社畑―― ダンディ・ヒルズでは、標高が上がるにつれ、3つの変化が起こります。まず土壌が変わります。そして標高が高くなるほど風が強くなり、気温が下がります。ウィラメット・ヴァレーでは標高約80mで素晴らしいピノ・ノワールが育ちます。それより低くなると、氷河期に堆積した肥沃な土壌になり、ブドウ樹は青々と茂り、収量も多いですが、果実は風味豊かとは言い難いです。シスターズ・ヴィンヤード(map①)は標高80mに位置し、ダンディ・ヒルズの火山性土壌とその上層に浅い氷河期の堆積性土壌が混じり、果実は「最もピノらしい表現」の実をつけます。シスターズは土壌自体に強烈な個性がなく、台木による差異のような小さな違いを見るには最適なので、台木の試験はシスターズで行っています。シスターズはピノ・ノワールらしさを純粋に、美しく表現できる場所です。その上にあるのが、標高約100mに位置するオリジナル・ヴァインズのジ・アイリー・ヴィンヤード(map②)で、氷河期に形成された土壌から少し離れたところにあり、ブドウ樹は樹齢52年と57年になります。ジ・アイリーのすぐ隣が、アウトクロップ・ヴィンヤード(map③)です。標高と土壌構成はジ・アイリーと同じですが、樹齢はまだ25年しか経っていません。この2つの畑を比較すると、ブレンドされた時に古木がどのように影響するかよく分かり、とても面白いです。さらに標高が上ると、標高200mにローランド・グリーン・ヴィンヤード(map④)があり、そこは100%火山性土壌で、土質もかなりたくましいです。午後になると沿岸からの風の影響を受け、低地の畑よりも涼しく、収量も少なめです。5つ目が標高280mと最も高い場所にある、まさに盆栽のようなダフニー・ヴィンヤード(map⑤)です。風の影響を大きく受け、芽吹き、開花、収穫のすべてが他のどの畑よりも10日遅いです。非常に痩せた土壌で、ブドウ樹の背丈は低く、房は小さく、果実味がとても凝縮して、酸度が高いだけでなく、エキス分も多いです。一連の単一畑のワインを試飲した人たちにブドウの違いを感じてもらうのはとても嬉しいことです。ピノ・ノワールらしさを最も表現している滑らかでエレガントなシスターズから始まり、アウトクロップの若木とジ・アイリーの古木のブドウの違いを味わい、さらに標高の高い火山性土壌の違いをみて、最後に独特の場所とそれを表現するダフニーへとたどり着くのです。ジ・アイリー・ヴィンヤードピノ・グリについてピノ・グリはピノ・ノワールと似ています。高収量、灌漑、過剰な施肥は質を落とします。アイリーでの醸造は自然に任せ、発酵温度が23、25、27℃と上昇していくに任せます。ただし、一般的なピノ・グリとは異なり、アイリーでは発酵後のワインを澱と一緒に11ヶ月間熟成させます。ピノ・ノワールを樽の中で熟成させるのと同様にピノ・グリは小さなステンレスタンク内で熟成させます。シャルドネについてシャルドネは魅力的なブドウで、ワインを造るのはとても楽しいです。シャルドネはピノ・ノワールより柔軟で、好きなように造れます。ただとても残念に思うのは、残糖、樽、マロラクティックなど、醸造家が手を入れた跡が強く残るシャルドネが多すぎることです。シャルドネは自然な状態が一番よいと思っています。アイリーでは1960年代からシャルドネを育てていますが、2013年からシスターズ・ヴィンヤードで増やしています。樹齢の高い樹ほど真の優雅さと表現力の深みがあり、アルコール度は低く、酸度は高いですが、非常に表情豊かで、ブドウには存在感があり、肉感的な豊潤さがあります。それに比べるとエステート・シャルドネはもっと生き生きして、多次元的な複雑さはないですが、より爽やかです。Q: 今後の展望は―― 現在、計50haの土地を所有していますが、ブドウ樹が植えられているのは25haだけです。畑周辺の森林をそのまま残し、あと15haは増やすことができますが、現在の計画は畑の規模を拡大することではなく、フィロキセラによって失われていく古木に代わる樹を新しい土地に植え、生産を毎年9,000ー10,000ダースレベルに保つことです。アイリーでこれまで実践し、今も続けているように、リスクを厭わず、新しいことに挑戦して新しいテリトリーを探求していきたいと思っていますが、同時に、品質に注力し、自分たちが育てるどの品種も本来のそのものらしさをしっかり表現させていきたいです。娘が3人いますが、彼女たちは昔の自分同様、ワイナリーで働いてはお小遣いをもらっています。彼女たちもまた、ここから出て外の世界を見たいと思っていますし、また昔の私のように、ここに戻ってくるかもしれません。2017年48回目の収穫生産者紹介動画ヴィレッジ・セラーズ YouTubeチャンネル【銘醸地オレゴンのパイオニアとして】では、ジ・アイリー・ヴィンヤーズの歩みを様々なヴィジュアル資料とともにご覧いただけます。《ヴィレッジ・セラーズより》ヴィレッジ・セラーズのUSワイン取扱いは2003年からだが、アイリーは、その最も早い時期より輸入していた。初めてアイリーの醸造所を訪問した時、なぜか、ヤラ・ヴァレーのヤラ・イエリングとその古いワイナリーを連想したことをはっきり覚えている。ハンター・ヴァレーのレイクス・フォリーも同様で、パイオニアたちの醸造所には特別な空気が漂っていた。